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静岡市の中心街にある「江川町の交差点」。静岡市民によく知られている場所ですが、「江川町」がどこにあるか、答えられる人は少ないのではないでしょうか。なぜなら江川町はないんです!
【画像】記事中に掲載していない画像も! この記事のギャラリーページへ標識にも店名にも「江川町」
江川町の交差点と言えば、東に行けば商業施設の新静岡セノバ、北に行けば静岡市役所と、静岡市の中心的な場所として知られています。
ところが交差点周辺に江川町という地名は存在しないんです。そこで今回は、現存しない地名・江川町の謎を調査します。
まずは周辺を調査。地下道に入っていくと「江川町地下道案内図」がありました。
にむらあつとリポーター:
「江川町地下道案内図」なのに、江川町は存在しないんです。北に行くと追手町。南に向かうと御幸町。江川町はないんですね、不思議でしょ?
地図を見ても交差点のまわりは、御幸町・鷹匠・呉服町・追手町・駿府町で江川町はありません。
となると、江川町という地名は一体どこからきているのでしょうか?
道行く人に聞いてみることにしました。
「江川町の交差点は聞くけれど、住所はないって不思議ですね」「知らなかった」「人の名前?」「江川という川が流れていた?」
やはり知られていない江川町。「言われてみれば、どうしてだろう」という人ばかりでした。
交差点周辺では「江川町通り」の標識も発見。
交差点を起点に西へ続く江川町通りですが、道路の名称としても「江川町」は残っているんです。
さらに、コンビニエンスストアの店名も「静岡江川町店」でした。
「江川家」が住んでいた場所
名残りはあるのに存在しない地名「江川町」。
深まる謎を解消すべく、史跡・文化財の保護、管理をしてる静岡市文化財課の熊谷すずみさんにお話を聞きました。
(Q.江川町という場所はもともとあったんですか)
静岡市文化財課・熊谷すずみさん:
徳川家康の時代に町割りが一度整備されたと言われています。その時に作った駿府九十六ヶ町の中に江川町が出てきます
つまり、江戸時代には江川町という場所があったんですね。
駿府九十六ヶ町があった場所に建てられている「町名碑」が、江川町の交差点に建っていました。
説明書きにはこうあります。
「江川町は、江戸時代から昭和20年までの町名で、伊豆国韮山の代官を務めた江川家の先祖が、天正年間にこの地に住まいしたことに由来すると言われています」
町名の由来は人の名前でした!
江川家の屋敷があった場所が、江川町と呼ばれるように。さらに昭和20年までは江川町が存在していたのです。
空襲がきっかけで消滅
では戦後、なぜなくなってしまったのでしょうか。
静岡市文化財課・熊谷すずみさん:
戦時中に空襲があり、区画整理が行われて江川町という地名はなくなって、御幸町などに変わったと言われています
第2次世界大戦末期の昭和20年に受けた空襲がきっかけで、町割りを再編し「江川町」は消滅してしまったそうです。
地名を知れば歴史がわかる。静岡市民おなじみの江川町は伊豆の江川家の住まいがあったことから生まれ、戦時中の空襲により失われた地名でした。にもかかわらず現在も使われ続けている、ちょっと特別な地名なのでした。
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